米国のインフレと金融引き締め

加速する米国のインフレーション

米国のインフレーションが加速している。消費者物価の上昇率をみると、3月には前年比で8%を上回る伸びと、第2次石油ショック後1982年以来の記録的な高水準となっている。


【図表1】米国の消費者物価

出所:黒田東彦「日本における物価変動と金融政策の役割」(2022年4月22日)

ウクライナ危機に伴う資源価格・食料品価格の上昇の加速もあって、FRB(連邦準備制度理事会)は、政策金利を3月に0.25%、4月に0.5%引き上げたほか、量的緩和の縮小も決めるなど、金融引き締めに躍起となっている。当面は、1か月半おきに開催されるFOMCごとに0.5%の金利引き上げを続けるとの見方が多くなっている。


米国のインフレは、日本のように石油製品や電力料金などのエネルギーに限定されたものではなく、財・サービスの広い範囲に広がっていることが特徴であり、現在のインフレが深刻なホームメード・インフレであることを示している。この背景には、米国政府の莫大な財政支出の効果もあって、コロナ禍から米国経済が順調に立ち直り、財が主導するかたちで個人消費が堅調に増加していることが指摘できる。

【図表2】米国の個人消費

出所:黒田東彦「日本における物価変動と金融政策の役割」(2022年4月22日)

急速に深刻化した労働力不足の背景

米国の経済が急速に回復しているとはいえ、コロナ禍による落ち込みを取り戻したレベルであり、過去の成長トレンドを大きく上回る水準には達していない。もっとも、労働需給はひっ迫しており、一時大きく上昇していた失業率はコロナ前の3%台半ばまで低下し、求人数は過去にない水準まで増加している。このように労働力不足が深刻化している最大の理由は、離職者が増加し、就業する意思のある者(就業者と失業者の合計)が減少していることである(大離職<Great Resignation>と呼ばれている)。労働参加率(就業する意思がある者が人口に占める比率)はコロナ禍のもとで63%台から61%台へと低下。その後、幾分回復しているものの、現時点でも62%程度とコロナ前よりも1%ポイント低い水準にとどまっている。


【図表3】米国の労働参加率

出所:黒田東彦「日本における物価変動と金融政策の役割」(2022年4月22日)

1%ポイントの低下は、数百万人の労働者の減少を意味しており、労働市場を逼迫させている。


この「大離職」現象には、以下の2つの要因の寄与が重要であると指摘されている。


第1に、米国では、コロナによる感染者数・死亡者数が極めて多数に上った(米国の人口当たり死亡者数は日本の10倍)ことから、感染・死亡リスクの高い高齢者の離職が目立っている。米国の55~74歳の労働参加率は、コロナ禍に伴い2%ポイント低下しており、収束後も回復していない。高齢者のコロナ回避スタンスはかなり強いことを示しているが、同時に株価上昇に伴い高齢者の個人金融資産(年金を含む)の時価が上昇したため、敢えて働かなくても、金融資産を取り崩すことで暮らしていけると判断していることも寄与している。


第2に、高齢者を含めて多くの労働者に、コロナへの感染リスクが高い対人サービス業への就職を避けようとの意思が強まっていることである。IMFの分析(WEO・2022年4月)によると、米国では、代表的な低賃金労働である飲食サービス、宿泊、小売業、娯楽業に勤めようと考える人が減少しているため、従来よりも高い賃金をオファーしないと求人を充足できなくなっている。このため、米国では、コロナ前には年3%強であった賃金上昇率が、最近では5%台半ばまで高まっている。


【図表4】米国の賃金上昇率

出所:内閣府「月例経済報告等に関する関係閣僚会議資料」(2022年4月21日)


このほか、コロナ禍に伴い海外から米国への移民数が減少しており、港湾労働など肉体労働者の労働需給がひっ迫したことも、一定の影響を及ぼしているとみられる。


米国の金融引き締めの影響

以上のように、米国のインフレは、コロナ禍で生じた労働市場の構造変化に伴うものであり、容易には解決できない可能性がある。直近では、ウクライナ危機に伴う食料・エネルギー価格の一段の上昇もあって、インフレ退治には政策金利の大幅な引き上げが必要であり、インフレ鎮静化には相当な時間を要する可能性があるとの見方も出てきている。


米国経済は世界経済に与える影響が大きいだけに、米国の金融引き締めがもたらす副作用には留意する必要がある。


【図表5】製造業PMI 

出所:日本銀行「経済・物価情勢の展望(2022年4月)」

以下では2つの点を指摘しておきたい。 1点目は、米国の金利引き上げは、外貨による借入残高が多く、米ドルに為替レートを連動させる傾向が強い新興国の経済に大きなマイナスとなる可能性がある点である。コロナ禍は、経済の面では先進国よりも新興国に大きなダメージを与えている。図表5で、製造業PMIの推移をみると、コロナ前には各国間の格差は小さかったが、2021年以降、順調に回復している米国やユーロ圏諸国に比べて、アジア各国やラ米諸国の回復が遅れている。 新興国では、 ①ワクチン接種の遅れもあってコロナ感染の影響が大きくなったこと、 ②人との接触が回避できない製造業や対人サービス業が経済に占めるウエイトが高いこと、

③新興国では財政の制約が厳しいため、先進国のような経済を支える大規模な財政支出が実施されなかったこと、

が影響している。

このように脆弱化している新興国経済には、米国金利引き上げによる国際的な金融逼迫の影響は小さくない可能性がある。現時点で大きな影響が出そうな国はブラジルやトルコに限定されているが、この影響がさらに拡大しないか、最近低調な動きとなっている中国の景気動向も併せて注意を要する。


2点目は、日本経済に与える影響である。米国とは異なり、日本ではコロナ感染が深刻ではなかったことから、労働参加率の低下も生じていない。一方で、消費者の消費スタンスはなお慎重であり、個人消費をはじめとする経済の回復も捗々しくないことから、労働需給のひっ迫は限定的であり、賃金上昇も目立っていない。このため、食料・エネルギー価格の上昇にもかかわらず、インフレが加速するとの見方は、政府・日銀、民間エコノミストにも広がっていない。中国を中心にアジア新興国の成長が鈍化すれば、経済へのマイナスのインパクトが生じる可能性もあり、日本に本格的なインフレが到来する蓋然性は低いとみられる。むしろ、当面起こりうるシナリオは、日本と米国の金利差拡大から生じる為替の円安の進展である。既に、実質実効為替レートでみた円の為替レートは、変動為替相場制移行後、最安の水準にまで低下している。


【図表6】実効為替レート

出所:日本銀行「経済・物価情勢の展望(2022年4月)」

米国の強力な金融引き締めがさらなる円安が進展した場合、日本経済にどのような影響を与えるのか――経済全体ではプラスとしても、マイナスの影響を被る家計部門のダメージは大きくならないか――を中心に考えていく必要があるのではないだろうか。

 

Writer:肥後 雅博 東京大学大学院経済学研究科教授・前日本銀行京都支店長


閲覧数:77回0件のコメント

関連記事

すべて表示