文化財を守ることの難しさ

文化財にかかわる仕事をしていて、文化財を守ることの難しさを痛感することが多い。石や土、金属でできているものはまだしも、紙や絹、木、漆や染料といったものは素材としても脆弱で、それが何百年もの歳月を経ているとなると正に超高齢者の世界である。日本の文化財はこうした素材でできているので厄介だ。ただ存在しているだけでも自然に劣化が進行している。紫外線は変色をきたし、温度や湿度の急激な変化は紙であろうが絹であろうが劣化の進行を促し、はたまた木や漆にまでも収縮や亀裂の原因となる。自然劣化にあらがうことは困難であるが、それでもなお、こうした文化財を自然劣化の危機から救うために様々なノウハウが保存科学の分野で開発されてきた。紫外線カットの照明が開発され、温湿度のコントロールがきめ細かにできるシステムも開発され、こうしたノウハウが組み込まれた展示室や収蔵庫が文化財を危機から守っている。


自然劣化を文化財の第一の危機とすれば、第二の危機は虫やカビといった生物被害であろう。特にカビは文化財にとって大敵であることは高松塚古墳壁画でもよく知られているところであるが、私自身もこの古墳壁画がカビに冒された状況を見てショックを受けた。というのはこの高松塚は思い出深いもので、昭和47年(1972)3月に発見されるが、4月に私は文化庁に就職し、その最初の仕事がこの高松塚古墳の留守番役だった。その役得で、発見されたばかりの壁画を人がやっと入れるくらいの小さな穴から覗くことができたが、壁面はたっぷりと湿気を含んだ濡れ色で鮮やかに輝いていた。しかし30年余りたってカビの大量発生に見舞われ、壁画の表面はカビによる退色が著しいことが判明し、恒久的な保存対策が検討されて、以後12年をかけて修復がなされたが、発見当初の色鮮やかさに比べるとなんとも痛々しい。文化財に対する黴害の恐ろしさ痛感する次第である。

高松塚古墳壁画発見当初

発見より50年を経た後の修復終了時

文化財における第三の危機は自然災害であろう。地震、津波、集中豪雨、いずれも日本では馴染みのものばかりであるが、これらの自然災害によって多くの文化財が被害を蒙ってきた。特に11年前の東日本大震災はまだ記憶に新しいが、この時も文化財は大きな被害を受けた。文化財のレスキュー事業がシステム化され、組織化されたのはこのときである。


第四の危機は人間の手による人為的被害であろう。その典型が戦争による文化財の破壊である。第二次世界大戦の際、幸運にも京都、奈良は被災から免れたが、それでもこのときの日本の文化財の消失は著しかったと思われる。武力紛争による破壊の恐ろしさは現に今進行しつつあるロシアによるウクライナへの攻撃が物語っている。美しい町並み、多くの建造物遺産が無残な形で破壊されている。過去において武力紛争による貴重な文化財の破壊は第一次、第二次世界大戦で世界は経験した。その経験から武力紛争の際に攻撃を差し控えるべき文化財を示すマークとして「ブルーシールド(青い盾)」がシンボルマークとして1954年にハーグ条約で定められた。更に96年には武力紛争だけでなく自然災害も対象とした文化財保護のための非政府組織「ブルーシールド国際委員会」が設立されている。日本でも早くこの国際的な動きに添えるような組織、「ブルーシールド・ジャパン」を設立すべきであろう。

武力紛争は一度勃発してしまえば文化財にとって極めて大きな危機となるが、これに勝るとも劣らぬ厄介な危機が第五の文化財に対する人間の無関心である。

廃仏毀釈の状況

この写真には仏像を中心に廃棄された文化財が累々と積み上げられた、目を覆いたくなるような光景が写し出されている。明治元年、明治政府によって神仏分離令が布告されるとたちまち仏教文化に対する弾圧が始まり、一夜にして100以上の寺院が消滅した地域もあった。これに加えて明治政府が推し進める文明開化政策の波は日本の伝統文化を顧みることを放棄するまでになり、文化財は大きな危機を迎える。法隆寺の五重塔や姫路城までもが売り出されることになり、また多くの貴重な文化財が廃棄されたり、海外へ流れていった。

文化財が蒙る危機を見てきたわけであるが、自然劣化は様々な保存科学研究によってかなりの程度まで防げるようになった。自然災害にしても津波に対する対策、耐震構造の発達等、防災のノウハウや技術の発達によってかなりの程度その危機を減じることができるようになった。しかし最も厄介なのは人災である。文化が人類にとって如何に大切であるか、文化に対する強い関心を持っていさえすれば文化財における人災は避けられるかも知れない。詰まるところ、文化に対する人間の無関心こそ文化財の最大の危機かも知れない。

 

Writer:佐々木丞平 京都国立博物館名誉館長・京都大学名誉教授

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